モザイク林×甲斐 吉昭ヨシアキさん。

諸塚村で椎茸栽培を行う、甲斐吉昭さん。
まさに“サバイバル”とも言える子ども時代の思い出から、椎茸農家になって経験した様々な困難、そして、それらをどのように乗り越えてきたのか。
山とともに生き、その豊かさと厳しさの両方を知り尽くした、甲斐さんの半生を伺いました。

生粋の諸塚人

椎茸農家の甲斐さんは、昭和31年、諸塚村の南川ミナミガワ集落に生まれました。
高校時代だけは村外に出ましたが、本人いわく、そう教育されていた?のか、当然村に戻るものと思っていたそうで、卒業するとすぐに村に戻り、家業である椎茸栽培を手伝いました。
そして、37歳で家業を継いでから30年。
平地が少なく、規模を拡大しづらい諸塚村の中では、大きな規模で事業を展開されています。

中学時代の甲斐さん(左から2番目)。「よし坊」と呼ばれていました。大人しい性格だったそう。

甲斐さんの所有するモザイク林は、杉エリアは広いところで2ヘクタール、くぬぎエリアは10~20アールが点在しているとのこと。

子ども時代の思い出

今のようにゲームなどなかった子ども時代。
遊び場はもっぱら山や川。きゅうり1本をおやつに持って出かけて行きました。
山遊びの供は、定番の折り畳み式の小さなナイフ。当時は、男の子ならみんな小学校低学年頃から持っていたそうです。
秘密基地もいくつもありました。藪を切り開いたところから、神社の社殿の中まで。

先輩たちからも、たくさんの遊びを教わりました。
板に丸太を輪切りにした車輪をつけた、通称「ゴロ」と呼ばれる台車を作り、それに乗って坂道をくだること。スリル満点で楽しい遊びでしたが、時にはスピードが出すぎて危険な目にも遭いました。
他にも釣った魚を、焚火で焼いたり、拾った空き缶で煮たりして食べたりしました。火を焚いて怒られたことは何度もあったそうです。

今考えると危険なこともたくさんありましたが、道具の使い方や焚火の仕方、野草の知識など、子ども時代に遊びの中で学んだことは、生きていく上で大切なことだと年を経るごとに実感しています。

今でも野草を見れば、食べられるものと食べられないものの区別はつきます。でも知識と同様に「味」の経験もとても大事。子どものうちに食べておけば、ある程度年齢がくると美味しいと思えるようになると甲斐さんは話します。

もちろん遊びだけでなく、家の手伝いもよくやりました。
中でも大変だったのは椎茸の原木運び。足場の悪い獣道を1本ずつ担いで運びました。
12、3kgの原木は、子どもにとっては相当な重さです。しかも寒い時期、体を動かしてもなかなか温まりません。それを日が暮れるまで続けるのです。今考えると「よくやっていたなぁ」と自分で思うほど。
よくお母さんが、その日の晩ご飯のおかずを教えて励ましてくれて、それを目標に頑張って働きました。
今では何を食べたのか覚えていませんが、そんな日の夜は、温かいご飯が本当に美味しかったそうです。

甲斐さんの所有するモザイク林は、杉エリアは広いところで2ヘクタール、くぬぎエリアは10~20アールが点在しているとのこと。

今でも野草を見れば、食べられるものと食べられないものの区別はつきます。でも知識と同様に「味」の経験もとても大事。子どものうちに食べておけば、ある程度年齢がくると美味しいと思えるようになると甲斐さんは話します。

子ども時代の一番の思い出の味は、自家製の味噌をつけて焼いた椎茸。中でも山仕事の間に、その場で生木を削った串に刺して焚火でじっくりと焼いた椎茸は絶品でした。今でもよく食べるそうです。

「原木は30年経つと大きくなりすぎ。20年ぐらいがちょうどいい。」「土地によって、木が大きくなりやすいところそうでないところがある。」「成長が早いクヌギの方が椎茸の品質はいいものができる。」甲斐さんから溢れてくる言葉は、生きた知恵ばかり。

モザイク林

平地が少ない諸塚村では、昔から山林を活用して生活してきました。
そのため、人工林率が高いのですが、伐っては植えるを繰り返すなかで、その土地に応じた樹種を選択するなど、森の恵みを持続可能にする工夫をしてきました。
その結果、森全体に針葉樹と広葉樹とが混在する“モザイク林相”と呼ばれる独特の美しい景観を生み出しました。

その主な目的となってきたのが椎茸栽培です。
「クヌギ」と「杉」という2つの樹種のサイクルの違いをうまく利用し、クヌギ林から伐り出した原木を杉林に運び、その木陰で栽培を行うというのが、昔ながらの諸塚の栽培方法です。

現在は形態が少し変わりましたが、かつては甲斐さんの家もそうした栽培を行っていました。
モザイク林は、甲斐さんにとっての原風景であり原点となっています。

モザイク林は季節によって様々な表情を見せてくれます。樹種によって色がはっきりと分かれる、新緑や紅葉の時期がとくに見ごろ

モザイク林は災害などにも強く、また動物たちが暮らすことのできる環境を守ることにもつながり、住民たちにとって自然との共生のシンボルと言えます。

現在の椎茸栽培

前述のように、椎茸の栽培地は機械が入らない斜面が多く、規模の拡大が難しいという問題点がありました。その解決のために、諸塚村が平地をつくり、栽培のための団地(ハウス・工場)を建てました。
4軒の農家がそこに入り、栽培を行っています。甲斐さんもその1軒。

椎茸の栽培団地、甲斐さんのハウス内。1棟のハウスを満杯にすると2000本が入ります。それが3棟。菌種などによって発生時期をずらして収穫していきます。夫婦2人で回しているというから驚き。

ほた木(菌を植え付けた原木)を山で寝かせて、収穫できる時期になったらハウスに移します。
以前は、自分たちで原木をまかなっていましたが、現在では「原木銀行」に発注すると、モザイク林から原木を切り出してトラックで運搬してきてくれます。
そして、収穫した椎茸は、団地内の作業場で梱包して出荷します。
同じ場所で集中して作業できるので効率化や規模の拡大が可能になりました。

作業場では奥様が梱包を行います。子どもの頃は近隣に住んでいながらも面識がなかったという奥様との出会いは、大人になってから。「県外にいて、また戻るつもりだったんだけど…。」と言いながらも笑顔の奥様。恥ずかしいので今回は顔出しNGでした。(笑)

また、かつては宮崎市の青果市場まで自分たちで出荷していましたが、現在は集荷場ができ、そこからまとめて運んでくれるようになり、生産に集中できるようになりました。

諸塚の椎茸栽培は少しずつ形を変えながらも、森の恵みを生かす知恵と栽培方法が脈々と受け継がれてきました。

椎茸の栽培団地、甲斐さんのハウス内。1棟のハウスを満杯にすると2000本が入ります。それが3棟。菌種などによって発生時期をずらして収穫していきます。夫婦2人で回しているというから驚き。

作業場では奥様が梱包を行います。子どもの頃は近隣に住んでいながらも面識がなかったという奥様との出会いは、大人になってから。「県外にいて、また戻るつもりだったんだけど…。」と言いながらも笑顔の奥様。恥ずかしいので今回は顔出しNGでした。(笑)

椎茸一本でやってきたのは、「やっぱり好きだから」。作業がすべて順調にいって、自分の理想通りの椎茸ができた時は、まさに喜びと感動の瞬間だそうです。

数々のピンチを乗り越え

新しい取り組みにもチャレンジして、徐々に事業を発展させてきた甲斐さんですが、その道程には数々のピンチがありました。

台風の風には、これまで何度となく被害を受けました。
台風が過ぎて翌朝ハウスに来てみると、屋根はないし、木は倒れているし、中は水浸し。生えている椎茸は全部出荷できない状態。どこから手をつけていいか分からなかったと言います。
最近では台風の進路などを見ながら、事前に対策をとり大きな被害は免れるようになったそうです。

「(台風の進路や規模を)見誤っていたんでしょうね。」そう振り返る表情が、当時の被害の厳しさを物語っていました。

また、安い中国産の椎茸が入ってきた時代には、事業そのものが揺るがされました。
生産しても全くお金にならず、困り果てた甲斐さん。
そこで思いついたのが、日向市を中心に店舗展開している食品スーパーです。
当時は自分たちで宮崎の青果市場に運んでいたので、日向までなら片道1時間で行けるという利点もありました。
早速サンプルを持参して頼みに行くと、入荷してもらえることになりました。
この取引開始により、甲斐さんはピンチを脱却することができたのです。

「(台風の進路や規模を)見誤っていたんでしょうね。」そう振り返る表情が、当時の被害の厳しさを物語っていました。

若い頃は、生産したものを自分たちで市場まで運んでいました。「道があるから、生産したものを届けることができる。」甲斐さんにとって、道は文字通り“ライフライン”なのです。

これからも山とともに

甲斐さんは数々のピンチを乗り越え、一つ一つの経験に学び、山間の厳しい環境の中でも、椎茸の栽培を続けてきました。

その原動力は、やはり椎茸に対する愛情、生産の喜び。そして、子ども時代の苦しい労働体験など、山の暮らしの中で培った忍耐力や精神力が支えとなったのでしょう。

現在67歳ですが、体力には自信があります。「(ほた木を運ぶのは)毎日ダンベルをあげているようなものじゃからね。」と甲斐さん。

甲斐さんの現在の夢は、「原木栽培」にこだわって、体が動く限り大好きな椎茸を作り続けていくこと。
変わるものと変わらないもの、その中で、先人たちの知恵を守りながら、これからも甲斐さんの山との暮らしは続いていきます。

現在67歳ですが、体力には自信があります。「(ほた木を運ぶのは)毎日ダンベルをあげているようなものじゃからね。」と甲斐さん。

まさに“木の子”。原木栽培ならではの山のエネルギーに満ちた、肉厚でジューシー、香り豊かな諸塚の椎茸を味わってみてください。

episode 02

山を大切にしたらこうなった「モザイク林」

諸塚村では、戦後の拡大造林期にも先人の教えを守り、全国的にスギ、ヒノキの一斉林が植えられる中で、針葉樹と広葉樹を7対3の割合で混植する施策をとりました。その結果、森全体が、針葉樹とクヌギやナラなどの広葉樹とが混洧する、美しい独特の景観を生み出しています。

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