上椎葉ダム×山中里盛サトモリさん・カツ子さんご夫妻。

椎葉村在住の山中里盛さん(92歳)とカツ子さん(83歳)ご夫妻。
結婚生活60年。元々はダム湖をはさんだ集落に暮らしていた二人がどのようにして出会い、今に至るのか。
結婚当時のエピソードや結婚生活の思い出話について、奥様のカツ子さんに伺いました。

突然やってきた縁談話

カツ子さんは小さい頃に両親を亡くし、母方のおばあさんから育てられ、「若宮」という集落に暮らしていました。
両親のいない寂しさはありましたが、椎葉という人のつながりが残るあたたかな土地で、カツ子さんは明るく美しい女性に成長しました。

▲左がカツ子さん。「遊んでさるいちょったとよ」※と笑って話す独身時代。20歳前後の時。地元の友人と。(※椎葉の方言で「遊びまわっていたのよ」という意味)

▲みんなで船に乗っているところ。当時は娯楽や遊ぶところもなかったため、カツ子さんはいつも友人たちと近所の川辺に集まって遊んでいたそうです。一番左がカツ子さん。

上椎葉ダムの建設に向けて村が活気づき始めた頃、カツ子さんの元へ、突然その縁談話がやってきました。

きっかけは、カツ子さんのおばあさん。
親代わりだったため、カツ子さんの将来を心配していたのでしょう。
いつもおばあさんの診察に来てくれていた椎葉病院の先生に、カツ子さんにいい縁談がないかと頼んでいたようです。

お相手に選ばれたのが、谷をはさんだ向かいの「桑弓野クワユミノ」という集落に暮らしていた里盛さん。
両親が亡くなって一年ほど一人で暮らしていたことを、病院の先生が気に留めていたようでした。

▲左がカツ子さん。「遊んでさるいちょったとよ」※と笑って話す独身時代。20歳前後の時。地元の友人と。(※椎葉の方言で「遊びまわっていたのよ」という意味)

▲みんなで船に乗っているところ。当時は娯楽や遊ぶところもなかったため、カツ子さんはいつも友人たちと近所の川辺に集まって遊んでいたそうです。一番左がカツ子さん。

とんとん拍子で結婚へ

里盛さんとカツ子さんは、仲人の病院の先生の家で初めて会いました。

お互いに嫌とは思わなかったようですが、本人たちの意思は関係なく、周りの人が縁談をまとめあげてしまうのは当時はよくあったこと。
その後、二人はすぐに結婚することになりました。

▲「話したこともないのに、出会ってすぐ結婚。びっくりでしょ?」カツ子さんは笑って話しましたが、その笑顔が幸せな結婚だったことを物語っていました。

お見合いの時のお互いの第一印象を伺うと…カツ子さん「そう悪くもないし…村田英雄みたいな感じ。嫌ではなかったんでしょうね」。里盛さん「なるほどな~と思った」だそうです(笑)。

船の上の花嫁

あたたかな春の日差しきらめき、スモモの花が咲く頃、カツ子さんは里盛さんの元へ嫁ぎました。
今はダム湖に沈んだ川を、花嫁姿で船で渡りました。
昭和30年頃、カツ子さんが21歳、里盛さんが30歳の時でした。
どんな人生になるのかという不安も、わずかばかりかは心のうちにありましたが、若いカツ子さんは運命という流れに身を任せるばかりでした。

▲結婚式当日、田んぼの道でおばさんが撮ってくれた写真。

ダムとともにあった結婚生活

そのあとすぐに上椎葉ダムが完成しました。
里盛さんも測量士として、建設に携わったそうです。

ダム建設は村の人たちの心に様々な葛藤を生みましたが、日本初の大規模アーチ式ダムの完成は、その後の日本のダム建設にとって大きな礎となりました。

時の流れは風の流れのように、ダムが完成すると、ダムは暮らしの一部分として、いつも人々の身近にありました。
初めてのデートと言えば、ダムの見える「女神像公園」。
ダム湖を走るポンポン船から立ち昇る煙は、日常風景として当時を生きた人々の記憶に今も鮮明に刻まれています。

▲女神像公園から望む上椎葉ダム。かつては北九州にまで送電するほどの発電量を誇り、人々の暮らしにも大きな恩恵をもたらしました。

▲山中展望所から見た上椎葉ダム。ダムを正面から一望できる絶景ポイント。

当時は船でダム湖を渡るのが移動手段の一つとなっていて、通学や通勤にも活用されていました。
里盛さんとカツ子さんも、お子さんを船で学校へ送り迎えしたり、向かいの集落で何か用事があると船で行ったりしたこともよくあったそうです。

しかし、ダム湖の上もいつも平穏ではなく、台風の時は渡れなかったり、風の強い時には風で押し戻されたり大変なこともありました。
船でお子さんを学校に送っている途中にエンジントラブルで漂流してしまい、流木で必死に漕いで、道路を走る車に手を振って助けを求めた経験も。
里盛さん・カツ子さんご夫婦という道のりもまた、穏やかな時とそうでない時と、様々な波を乗り越えて共に歩んできたのです。

▲女神像公園から望む上椎葉ダム。かつては北九州にまで送電するほどの発電量を誇り、人々の暮らしにも大きな恩恵をもたらしました。

▲山中展望所から見た上椎葉ダム。ダムを正面から一望できる絶景ポイント。

▲若いころは、優しくモテていたたいう里盛さん。 「カツ子さんにも優しかったですか?」と聞くと、「逃げたら困るからね(笑)」とカツ子さん。

育てた牛を出荷するのに、牛を船で引っ張り泳がせてダム湖を渡った時は、向かい岸にたどり着いた時には人も牛もどろどろになっていたという思い出話も。

里盛さんのお酒好き

お酒が大好きで若いころは“一升口”※とも言われた里盛さん。 (※椎葉の方言で「一升瓶をあっという間に飲んでしまうほどの酒豪の人」という意味)

晩酌は毎晩のこと。外に飲みに行くと帰る途中に道端で眠っていたということも多々ありました。
特に忘れられない思い出は、里盛さんがダムの向かいへ狩りに行ってそのまま友人と飲んでいた時のこと。
飲んでいるお宅へ電話すると「今から帰る」と言うので、カツ子さんが船で迎えに行くと、里盛さんは何と別の船に乗って帰ろうとしていました。
しかも、酔っぱらった里盛さんは、真っ暗闇のダム湖の上を、自宅とは違う方向のダムの方へ向かっているのです。
カツ子さんは慌てて船で追いかけて里盛さんを連れ戻しましたが、寿命が縮まる思いでした。

▲「(酔っぱらった里盛さんを)怒ったってだめじゃもんね」と笑って話すカツ子さんの優しさが、ご夫婦の長続きの秘訣かもしれません。

▲カツ子さんに「結婚生活を振り返ってどうですか?」と尋ねると、「あんまりいいことはないね(笑)」と。 その一言の中に、いい時も悪い時も様々な時をともに乗り越えてきたご夫婦ならではの、情愛が満ちているように感じました。

二人でゆっくりと

里盛さんとカツ子さんは、これまで夫婦二人三脚でシイタケ栽培を中心とした農業を営んできました。
里盛さんの病気で農業はやめてしまいましたが、一緒に趣味の範囲で畑仕事をしたりと、二人でゆっくりとした時間を過ごしています。

▲カツ子さんに「結婚生活を振り返ってどうですか?」と尋ねると、「あんまりいいことはないね(笑)」と。 その一言の中に、いい時も悪い時も様々な時をともに乗り越えてきたご夫婦ならではの、情愛が満ちているように感じました。

まだ里盛さんの体が思うようにいかない部分もあり、遠出は難しいようですが、しばらく経って良くなってきたら、また二人で遠出もしてみたいそうです。

今の生き甲斐は、子どもさんやお孫さんの存在。
アーチダムのそばで、お二人の平穏な日々がこれからもずっとずっと続きますように。

▲自分をこれまで生かしてくれた椎葉という環境に感謝しているというカツ子さん。その眼差しは椎葉の美しい風景のように、キラキラと輝いていました。

episode 01

元祖アーチダム「上椎葉ダム」

黒部ダムの原型であり、ダムマニアの間では「閣下」とも呼ばれます。高さ110m、長さ341m、総貯水量9155万立方の大規模アーチ式ダム。堤体を歩くことができますが、地元の人いわく、「高所恐怖症の人は来ないでください」とのこと。

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